※月刊Kacce2023年3月号(vol.470)掲載記事の再編集です。
NHK連続テレビ小説「らんまん」のモデルとなった植物学者の牧野富太郎博士。 94才までの約30年間を練馬で過ごした牧野博士と小学生の頃、交流があったという鴫原洋子(しぎはらようこ)さんに思い出をお聞きしました。
●どんな植物にも名前がある
今から80年以上も前のこと。江古田に住んでいた私は、大泉にある東京第三師範学校附属小学校(現・東京学芸大学附属大泉小学校)に入学しました。
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間もなく戦争が始まって山形に疎開。5年生で終戦を迎え、学校が再開したので、文京区に移っていた家から西武農業鉄道(現・西武鉄道)で大泉学園駅まで通いました。駅から学校まで見通せるくらい一帯が練馬大根の畑でした。
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牧野先生のお宅は学校と駅の途中にあり、帰りに友達とゾロゾロ歩いていると「おいでおいで」とよく招き入れてくれたんです。道草が楽しくて皆でしょっちゅう遊びに行っていました。当時は庭というより畑の延長のような感じでしたね。
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「先生、これ何? これは?」と皆が質問すると1つずつ答えてくれたり、道端の雑草の名前を教えてくれたり。イヌフグリ、ママコノシリヌグイ、キツネノボタンなど、かわいい花なのにおかしな名前が付いているなぁと思ったものです。「どんな花や草にも名前がある」という先生の教えは今でも心に残っています。
●先生のおかげで植物好きに
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牧野先生は当時80才位だったと思いますが、小柄なおじいちゃんという印象でいつも和服でした。それほど愛想が良かったわけではないけれど、偉そうだったり名誉欲があったりという感じは全くありませんでした。戦後の食料難の時代でしたから、おやつを出してもらうなんてこともなく、ただ植物のことだけ教えてくれました。自分の思いを子どもたちに伝えたかったのだと思います。
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サトイモの葉っぱにコロコロとたまった朝露を集めて墨を摺(す)るとお習字がうまくなるとか、千年も生きた種から花が咲くことがあるとか。後に大賀博士という方が約2千年前のハスの実を発掘して花を咲かせたとニュースで知った時、本当だったんだと感心したことも。先生のおかげで植物が好きになり、大学では山岳部に入部し、高山植物を見に行っていました。
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当時の様子を忠実に再現した書斎
昨年、初めて牧野記念庭園を訪問したんです。古い家を見たとたん先生のお姿や、縁側に腰かけてお話を聞いた記憶がよみがえり、懐かしい思いが湧き上がりました。
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1934年生まれ
牧野記念庭園
じゅう